どりあんさんがコメント欄で報告して下さいました。
講演内容部分を転載させていただきます。
※読みやすくするために管理人が小見出しをつけました。
◆吉野裕之さんについて
吉野裕之さんは、3.11の後会社がなくなって「NPO法人シャロ―ム災害支援センター」に入ったそうです。
NPO法人シャローム - http://www.nposhalom.net/
ご自分で「普通のおじさんです」と繰り返されていましたが、何のなんの。
◆福島の子どもたちは、まだ当たり前のことが出来ない
まずは、福島(福島市が主です)の子どもたちが、まだ、野外学習ができないこと。
学校で花や野菜を植えたり、野外観察をしたり、プールに入ったり。
そんな、子どもにとって当たり前のことが、まだできないんだ。
◆優れものの新しい放射線測定器
吉野さんは、新しい放射線測定器で、子どもたちのよく行くところを測定しています。
この測定器がすぐれもので、ベビーカーのようなものに、測定器を地表から10㎝・50㎝・100㎝の高さに取り付け、歩くと映像とともに測定値がグラフに出てきます。
グーグルマップに、放射線量ごとに色分けされて数値が表示されます。
す、スゴイです。
3.11の後すぐに、NHKのEテレで木村真三さんと一緒に福島に入った岡野先生が車に乗せた機器で放射線量を測ってましたが、それも動くと同時にすべての放射線の量がグラフになって出てきたのでビックリしました(岡野先生がチェルノブイリのために開発したものだったと思います)
これはもっと広く活用してほしいですね。
◆除染の現状
有名な公園の除染はかなり済んでいる。
でも、あまりにきれいになりすぎて、子どもが冒険できなくなった
小さな公園の除染も済んでいるけど、本当に数値が下がったのかどうか心配なので、子どもが遊ばず、草ぼうぼうになっている。
車道の数値はかなり低いが、歩道は高い。
歩道の材質が、放射性物質をしみこんでしまうので、雨が降るたびに高くなり、除染(高圧洗浄)をしても減らない。
そこで、細かく測定し、たとえば、歩道の真ん中を歩けばいいとか、公園のここは高いから近寄らない方がいいとか、表示しておけば無駄な被曝を避けられるし、安心して外に出られるようになる。
◆厳しい現実
甲状腺ガンも出ている、が、
住民たちは、生活することに必死であり、不安になって住めなくなると困るので、今は放射線量を測定しようといないでがまんしている。
現実問題として、ここに住むしかないんだったら、保護者に実際の測定値を見てもらって、子どもたちに無駄な被曝をさせないようにしてもらうことを進めている。
福島の子どもたちは、片足立ちで靴下を履けない。
運動不足で体幹が鍛えられていない。
いかに普通の外遊びが必要か。
◆吉野さんの活動と、私たちに出来るサポート
吉野さんは、自治体や学校などに働きかけて、被曝のない保養地へ子どもたちを連れて行く活動をされています。
文科省が復興予算として、福島の子どもの「移動教室」などに対して補助金を出してくれるそうです。
ここに立ちはだかるのが、縦割りですね。
これを打破するためには、市民活動グループが積極的に学校や自治体に働きかけ、福島の学校と連携して進めてく事だそうです。
◆日常の慣れに潜む危険など
今、福島では、除染していることが風景になっている。
除染土が置かれていることなれてしまった。
折り合いをつけながら、生活している。
「元に戻る力」など、言葉をすり替えられてごまかされている。
被曝限度年間20ミリシーベルトを、住民が受け入れていることが、
原発輸出に利用されている。
◆吉野さんの活動をお聞きして
吉野さんの地道な活動は、地元ではかなりの気苦労もあると思います。
でも、明るく希望をもって話されている姿に感銘を受けました。
コメントをお書きください
福島大好き・ケンちゃん (日曜日, 26 4月 2015 16:58)
福島市は、小・中と通った思い出の街です。
吉野さんから、「福島市民の憩いの山の『信夫山』が、除染された土を入れた黒い袋の置き場になっていて、立ち入り禁止の区域がある」という話を聞き、ショックを受けました。『信夫山』は小学生の頃、化石を取りに行ったり友達と遊びまわった所で、芭蕉の信夫文字摺でも有名な所なので。
福島の友達は、ちょうど孫育ての真っ最中。子供たちを県外に避難させている奴もいますが、ほとんどは、放射線を気にかけながら懸命に生きています。「震災後、運動会は体育館でやった。翌年は、外でやったが2時間だけだった。次の年は午前中できた。」
これからも、放射線と折り合いをつけながら生きていくんだろうなー。
歩道は放射線量が高く、公園も場所によっては高い所がある。
そんな事を気にしながら毎日暮らしていくのは大変だろうな!
そして、「まだ線量計で測っているの?心配なら出ていけば!」という心の問題。奥さんと子供さんを京都に避難させている吉野さん自身も
嫌な思いをしたこともあるんだろうな?
そして、子供たちの健康の問題。「まだ4年しか経っていないので、今、発症している癌は直接関係ない」と言い張る福島県立医大の医者。
震災後、「多少の放射能は浴びたほうが活性化するから良い」「放射能を心配して精神的に落ち込むほうがよくない」と言っていた医者。
福島の子供たちの健康が心配だ!
でも、吉野さんの話は、原発から60Km離れ、浜通りから仮設住宅に
避難してきている人が、まだ大勢いる福島市の話なんだよね。
双葉町、大熊町、浪江町、飯館村などなどは、どうなってしまうんだろう?
吉野さんの言葉、「関心を持ち続けることが大事」(そうだ!)
そして、一歩を踏み出そう!
どりあん (月曜日, 27 4月 2015 00:32)
管理人さん、お忙しいのにお手数おかけしました
スッキリ見やすくなりました
ありがとうございます
うちのブログ「ひだまり」にも送っておきます
福島に住んでたんだケンちゃん、
お友だちも大変ですね
あの日を境に、家族がバラバラになった家がたくさんあります
離婚した人も
明治維新の時からずっと、福島(会津)は虐げられてきました
明治政府の重要なポジションになかなか入れなかったり、太平洋戦争では、福島出身の部隊は中国で最前線に送られ、奥地まで行かされた後、そのまま引き返せって言われて、兵士の数を減らしながら、戻ってきました
「福島出身だから仕方ない」って言いながら
何で今回も福島なんでしょう?
そして、福島県民はガマンする
でも、子どもの問題は別です
子どもは分け隔てなく、みんなで守って育てるべきです
せめて少しでも、子どもらしい生活が送れるように、支援を考えていきたいです